はじめに
今まで、というと20年近くネットで活動(?)をしていました。ブログという言葉が未だ使われていなかった時代からネット上に公開されていたフリーのボードなどを利用し、現在のブログみたいな、日記といってよいようなものを散々やってきた覚えがあります。その中でよく道を迷うこともありました。一言でいうと「どうでもいいこんなことを残していったい何になるか」になるでしょう。時には自分でも、社会一員の発言として価値ありだとか、これは笑えるだろうだとか、こんなユニークな視点はみんなを楽しめるに間違いない、だとか結構なレベルでボジティブな評価を下す事もありました。自分のユニークさと言えば、日本に住む外国人として、韓国からみる日本についてなどがあるのでしょう。さらに自分の専攻を活かし、韓国人建築家が体験する日本民家の話とか、世界で珍しい日本人の領域意識、韓国人は理解できない日本映画の場面とかに至とそれはもうユニークを超え、なんと深さまで加えているのではないか!と自己満足(?)することもあったのでございます。自分のユニークさ
自分の話だからもちろん本当のことでありますが、それが事実だとすると、私はそのユニークさをもうなくしているのかも知りません。と言いますと、私はもう日本を離れ母国で過ごし始めて半年になりますし、日本語はどんどん使わなくなってますし、当然な事に日本のニュースもあまりチェックする事がないのです。とはいってもワールドカップのシーズンには日本戦・日本人の反応などの記事を韓国語ブルグにアップして4万ビューを記録した事もたまにはありますが。何をブログにすればいいか
じゃあ、普通の俺がこれからは一体何をブログにすればいいか。人は滅多に行かない所を訪ねそこの話をするブロガーをみると、そんなインチキな!そんな素材があるとは楽すぎるじゃないか!と思う方がいたら共感してもらえると思いますが、私はまさにその考えに巻き込まれていた事に気付きました。「いや、待ってよ。ブログを始めた頃にはブログを書く事が素材の全部だったじゃないか?」と。ブログの設置、ブログサービースの比較、うまいブロガーの紹介..........そうです。一に戻ってブログの価値を間直してみる事にしましょう。普通の韓国人としての私
日本語で書くという事意外にこのブログにユニークさはないかも知りません。ですが、逆に言うと私は普通の韓国人としての日本語ブログをみた事が未だにありません。観光向けのブログとか、兼韓、韓国料理の食べログ、社会学などの専門家分析とかはあふれるほどありますがね。しかし逆に考えてみると「普通」の価値は無限にあるという事に気付きます。というのは、韓国に住んでいて日本が話題になると周りは私に意見を聞きます。「日本はどう?」「日本人はそれをどう思うのかしら」など。そこでの日本人とは実は「普通の日本人」のほかありませんね?正直な話、自分は日本人ではないので、それらに答えながらも文章のはじめにはいつも「多分」をつけるのですが。
ハッピーコリアン
もちろん、普通を代弁するのはそんなに簡単ではありません。実際私が韓国人の代表としてふさわしいかどうかを皆様に説得するつもりもありません。ただ、周りから意見を聞かれたとき、私に求められるのが韓国人の観点かのもどであるとするならば、少なくとも自分にも例の「多分」は省略する資格があるのではないかと思い始めたのでございます。
それでは、これから普通韓国人として、韓国での普通生活について語りたいと思います。スタート、
ザ・ハッピーコリアン。それでは、今後もどうぞよろしくお願いいたします。
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